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礼拝説教集: あなたも仲間に

​​礼拝説教要旨

2025年11月2日

五日の後、大祭司アナニアは…(エルサレムか

ら)下って来てパウロを訴え出た。」

(使徒言行録24章1節より)

暗殺の危険を回避する為、カイサリアへと移送されたパウロは、裁判迄の5日間告発人達の到着を待ちました。エルサレムから最高法院を代表し大祭司を始め長老議員の他、テルティロと言う名の弁護士が遣わされて来ますと、裁判が始められました。まず原告を代表し弁護士テルティロが論告を始めましたが、その発言は全て憶測に過ぎず確証を欠いた偽証でありました。果たしてパウロはこれをどの様な思いで聞いた事でしょう。続く10節から始まるパウロの弁明によれば、冷静沈着に自然体で受け止めたに違いないと分かります。パウロはいつも神と人の前で良心に恥じない言動、行動を心掛けた人でした(23:1,24:16)から、根も葉も無い中傷、誹謗に対しても堂々としていられたのでした。偽証を含め“言葉”を巡る苦労を重ねたパウロは“悪い言葉ではなく、他者を造り上げる言葉を語るよう”勧めています(エフェソ4:29)。善い言葉は人を救います。

          牧師  桑原睦彦

教会前の花壇

​2025年11月9日(日)

「総督が、発言するように合図をしたので、パウ

ロは答弁した…。」(使徒言行録24章10節より)

パウロの裁判は続きます。総督に促されパウロは、この度のユダヤ側の告訴が事実無根である事を抗弁します。エルサレム入りしてからの12日間について事実だけを簡潔に振り返り、告訴には一切根拠の無い事を明らかにします。それだけでなく信仰の告白を述べ、神の前にも人の前にも良心に恥じない者である事を語ります。通常であれば、告訴は却下されパウロは即刻無罪放免となるべき処を、総督フェリクスの独断で裁判は延期されその後2年間も開廷されませんでしたが、パウロの弁論は正しく的を得ており、堂々と信仰を告白し主を証しする機会ともなりましたから、これを聞く者達にも相当な迫力を持って迫った事でしょう。パウロがそこで証しした“良心”(16節)とは元々“自分に対して目を覚ましている”事を表わす哲学の言葉でありましたが、私達は何よりも神の御心に対して心の目を覚ましていたいと思います。神への信頼こそが清廉潔白な歩みを与えます。             牧師 桑原睦彦

開花

2025年8月17(日)

「…そして共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに

別れの挨拶を交わし…」   

 (使徒言行録21章5~6節より)

パウロとその一行は愈々エルサレムに向かって進み、船旅を続けます。途中立ち寄った港で直行便に乗り換えると一気にティルスに到着します。ティルスには、以前ステファノの殉教を機にエルサレムで起こった大規模な迫害を逃れた信仰者達が隠れていましたが、パウロ達はこれを探し出し1週間に亘り信仰の交わりに与りました。おそらく毎日御言葉と祈りに与る恵まれた日々だった事でしょう。ついに別れの時が来ます。パウロはエルサレムでは試練や苦難が待っていると分かっており死の覚悟も出来ていたので、ティルスの人々との別れも辛く悲しいものだったと思います。しかし辛く悲しい中にも共に跪き祈り合い別れの挨拶を交わし合ったその姿からは、お互いに“神とその恵みの言葉に委ねる”(20:32)落ち着いた明るさが滲み出ておりました。日常繰り返す小さな別れも人生最期の死の別れにも、神の恵みの御手に互いを委ね合える幸いを覚えます。

牧師 桑原睦彦

花壇

​​2025年8月24日(日)

「…主イエスのためならば…エルサレムで…死

ぬことさえも私は覚悟しているのです。」   

 (使徒言行録21章13節より)

パウロの3回に及ぶ伝道の旅は、最終目的地をエルサレムに定めた旅となりました。それは聖霊がお示し下さった計画でありました(19:21、20:22~24)。しかし今エルサレムに行くのは危険が伴う事でもありましたので、ユダヤから来た預言者アガポを始め、同行者達やカイサリアの教会員、更には福音伝道者となって教会に仕えていたフィリポ(6:1以下、8章)とその娘達皆が声を揃えてエルサレムに行く事を反対します。しかしパウロは冒頭の御言葉の様に答え、エルサレム行きは主イエスの御名(栄光)の為であるから止めたりはしないと答えます。その固い決心が信仰に根差すものであると認めた人々は、“御心が行われる事”を祈り願ってパウロを送り出し、出来る限りの協力を致しました。人生において決断を迫られる時、信頼出来る誰かに相談し乍ら時に厳しい決断へと導かれても、それが神様の御旨であれば必ず祝福の結果へと導かれるものと信じます。     牧師 桑原睦彦

​2025年8月31日

「そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌

日一緒に清めの式を受け、神殿に入り…。」   

 (使徒言行録21章26節より)

エルサレムに到着したパウロは、早速教会に赴き諸教会からの献金、献品を届け、伝道報告を致します。主の兄弟ヤコブを始め、エルサレム教会の皆は喜び感謝してこれを受け、神の御名を賛美致しました。ただ同時に教会はパウロにある助言と提案をするのです。それは、主イエスに救われて信仰に導かれたものの、ユダヤ人キリスト者は尚律法を忠実に守り先祖伝来の慣習に従って生活しているので、パウロも律法に従った生活をしていることを証明して見せてもらいたいとの事でした。するとパウロはこの申し入れを受け容れ、直ちに行動を起こします。誓願を立てているユダヤ人教会員達4人をパウロ自ら神殿に連れて行き清めの儀式を律法通り行わせたのです。“ユダヤ人(律法に支配されている者)にはユダヤ人の様になる”(Ⅰコリント9:20)事こそ神の御心です。私達に与えられた自由を他者・隣人の益の為、時には差し控えるのは神の喜び給う善き業です。 牧師 桑原睦彦

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